姫路城ができる前の姫路はどこが栄えていた?御着城と中世姫路の歴史を解説

日本史

現在の姫路市といえば世界遺産である姫路城を中心に発展した都市というイメージがあります。しかし、姫路城が現在のような大規模な城郭になる以前から、この地域には人々が暮らし、政治や商業の中心となった場所が存在していました。

特に注目されるのが御着(ごちゃく)周辺です。中世の播磨地域では御着が重要な拠点の一つとして栄えており、姫路の歴史を語るうえで欠かせない場所でした。

姫路城が築かれる前の姫路地域の中心地

現在の姫路市中心部にある姫路城は、戦国時代から江戸時代にかけて大きく発展しました。しかし、それ以前の中世では、現在の姫路駅周辺や姫路城周辺が必ずしも地域の中心だったわけではありません。

鎌倉時代から室町時代にかけての播磨国では、交通の要所や有力武将の拠点となった場所が栄えていました。その代表的な場所の一つが御着です。

御着は現在の姫路市東部に位置し、山陽道に近く、古くから人や物が行き交う場所でした。そのため、政治的にも経済的にも重要な地域となっていました。

御着城と小寺氏による発展

御着が大きく発展した理由の一つが、御着城の存在です。戦国時代、御着城は播磨の有力武将である小寺氏の居城として知られていました。

小寺氏は播磨国内で大きな勢力を持ち、御着城を中心に地域を支配していました。城下には武士だけでなく商人や職人も集まり、一定の都市機能を持っていたと考えられています。

例えば、戦国時代の御着は単なる山城の周辺ではなく、政治の中心として人が集まり、周辺地域を動かす役割を果たしていました。

なぜ姫路城の場所が後に中心になったのか

では、なぜ御着ではなく姫路城周辺が現在の姫路市の中心になったのでしょうか。その大きな理由は、戦国時代末期以降の城と都市づくりの変化にあります。

豊臣秀吉が姫路城を改修したことで、姫路は軍事拠点として重要性を増しました。その後、池田輝政による大規模な改築によって姫路城は現在につながる巨大な城郭となりました。

江戸時代になると、城を中心に武士や商人が集まる城下町が形成され、姫路城周辺が政治・経済の中心として発展していきました。

御着と姫路城周辺の関係

御着が栄えていたことは、姫路城ができる前の歴史を理解するうえで重要ですが、御着と姫路城周辺は完全に別の地域として存在していたわけではありません。

どちらも播磨地域の重要な場所であり、時代によって中心となる場所が移り変わったと考えることができます。

例えるなら、現代でも交通網や産業の変化によって街の中心地が変わるように、昔の都市も政治や軍事の状況によって発展する場所が変化していました。

御着に残る歴史的な面影

現在の御着周辺には、御着城跡など中世の歴史を感じられる場所が残されています。

また、黒田官兵衛の生涯とも関係が深い地域として知られています。黒田氏は御着周辺と関わりがあり、戦国時代の播磨の歴史を語るうえで重要な存在です。

姫路城だけを見ると江戸時代以降の歴史に注目しがちですが、御着を訪れることで、姫路が大きな城下町になる以前の姿を知ることができます。

まとめ

姫路城が現在のような大都市の中心となる前、姫路地域では御着が政治や交通の重要拠点として栄えていました。

特に戦国時代には御着城を中心に小寺氏が勢力を持ち、播磨の中心的な場所の一つでした。その後、姫路城の大規模な整備によって中心地は徐々に移り、現在の姫路市へと発展していきました。

つまり、姫路の歴史は姫路城だけで始まったものではなく、御着など中世の拠点があったからこそ現在の街につながっているといえます。

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