明治時代生まれの人の中には、徴兵検査を受けたものの、体格や健康状態を理由に軍隊へ入らなかったという話が残っています。特に「身長が低かったため招集されなかった」という家族から伝わる話は、実際にあり得るのでしょうか。
この記事では、明治29年(1896年)生まれの世代が受けた徴兵制度の仕組みや、当時の身長基準、154cmという体格が兵役にどのような影響を与えた可能性があるのかについて解説します。
明治29年生まれの男性が対象になった徴兵制度とは
明治29年生まれの男性は、明治時代末から大正時代にかけて徴兵制度の対象となった世代です。当時の日本では、明治6年(1873年)に制定された徴兵令をもとに、一定年齢になった男性に兵役の義務が課されていました。
一般的には満20歳になる年に徴兵検査を受け、その結果によって甲種、乙種、丙種などの区分に分けられました。検査では身長だけではなく、体重、胸囲、視力、聴力、健康状態など総合的な身体能力が確認されました。
そのため、徴兵検査を受けたからといって必ず軍隊に入るわけではなく、体格や健康上の理由によって不合格となる人も一定数存在しました。
当時の徴兵検査で身長154cmは低かったのか
現代の感覚では154cmは極端に低いとは言えませんが、明治時代の成人男性の平均身長と比較すると、当時としても小柄な部類に入る可能性があります。
徴兵制度では時期によって最低身長の基準が設けられていました。例えば、時代によって差はありますが、一定以上の身長がなければ通常の兵役に適さないと判断されることがありました。
つまり、明治29年生まれの男性が徴兵検査を受けた際、154cmという身長が理由の一つとなって不合格や兵役免除になった可能性は十分に考えられます。
徴兵されなかった理由は身長だけとは限らない
ただし、徴兵検査で不合格になった理由は身長だけではありません。当時の軍では、長期間の軍務に耐えられる身体能力が求められていたため、さまざまな項目が審査されました。
例えば、視力が不足していた、胸囲が基準に達していなかった、持病があった、体力的な問題があったなどの理由でも兵役に就かない場合がありました。
そのため、家族に伝わる「背が低かったから行かなかった」という話は、実際の理由を分かりやすく伝えるために簡略化された可能性もあります。身長が大きな要因だった可能性はありますが、正式な理由を確認するには徴兵検査の記録などを見る必要があります。
徴兵検査に合格しても全員が戦地へ行ったわけではない
徴兵検査に合格した場合でも、すべての人がすぐに戦地へ送られたわけではありません。陸軍や海軍には多くの人員が必要でしたが、時期や人数の状況によって実際に入隊する人は限られていました。
また、兵役には現役兵、補充兵、後備役など複数の区分があり、検査結果によってその後の扱いが変わりました。
例えば、健康状態が一定基準を満たしていても、現役ではなく予備役に回される人もいました。このため、「徴兵検査を受けたが兵隊にならなかった」という経験を持つ人は珍しくありません。
家族に伝わる戦前の記憶を考えるときのポイント
祖父や曾祖父の時代の話は、何十年も家族の中で語り継がれるうちに、細かな部分が変化することがあります。しかし、「徴兵検査を受けた」「身長が理由で入隊しなかった」という話自体は、歴史的にも十分あり得る内容です。
特に明治29年生まれの場合、第一次世界大戦期や日露戦争後の軍拡期を経験した世代であり、多くの同年代男性が徴兵制度と関わりました。
もし詳しく調べたい場合は、故郷の役所に残る兵籍簿や軍歴資料、家に残された通知書などを確認すると、より正確な経歴を知ることができます。
まとめ
明治29年生まれの祖父が、身長154cmだったため徴兵されなかったという話は、当時の徴兵制度を考えると十分にあり得る話です。明治時代の徴兵検査では身長を含む身体基準が重視されており、小柄な体格が不合格理由になることもありました。
ただし、実際の判定は身長だけで決まるものではなく、健康状態や身体能力など複数の条件によって判断されました。
家族に伝わる戦前の記憶は、当時の社会制度を知る貴重な手掛かりです。祖先の経験を調べることは、日本の近代史を身近に理解するきっかけにもなります。


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