第二次世界大戦の始まりと独ソ関係の変化|ポーランド侵攻から独ソ戦までの流れを解説

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第二次世界大戦の流れを学ぶとき、「最初はドイツとソ連が一緒にポーランドを攻めたのか」「なぜ途中からドイツとソ連が戦うことになったのか」と疑問に感じる人は少なくありません。実際、開戦直後のドイツとソ連は一時的に協力関係にありましたが、その後は激しい戦争を繰り広げる敵同士になります。

この記事では、ドイツとソ連の関係がどのように変化したのか、ポーランド侵攻から独ソ戦開始までの流れを分かりやすく解説します。

第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻から始まった

第二次世界大戦は、1939年9月1日にドイツがポーランドへ侵攻したことをきっかけに始まりました。当時のドイツを率いていたのはアドルフ・ヒトラーで、ドイツは領土拡大を目指して東ヨーロッパへの進出を進めていました。

ポーランド侵攻に対して、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告しました。これによりヨーロッパを中心とした大規模な戦争へ発展していきます。

この時点で重要なのは、ドイツだけでなくソ連もポーランドへ軍を進めたことです。ただし、ドイツとソ連が正式な同盟国として一緒に戦争を始めたというより、両国がそれぞれの目的でポーランドを分割する形になりました。

なぜドイツとソ連はポーランドを攻めたのか

ドイツとソ連がポーランドへ侵攻した背景には、1939年8月に結ばれた独ソ不可侵条約がありました。この条約は、ドイツとソ連がお互いに攻撃しないことを約束したものです。

表面的には平和維持のための条約でしたが、裏では東ヨーロッパの勢力範囲を分ける秘密協定が存在していました。これにより、ドイツとソ連はポーランドをそれぞれの支配地域に分けることになりました。

ドイツはポーランド西部を、ソ連はポーランド東部を占領しました。このため、第二次世界大戦初期には「ドイツとソ連がポーランドを共同で攻撃した」と説明されることがあります。

ドイツとソ連は本当に仲間だったのか

ドイツとソ連は一時的に協力していましたが、両国の思想や目的は大きく異なっていました。

ナチス・ドイツは反共産主義を掲げており、ソ連の共産主義体制を敵視していました。一方、ソ連もドイツによる東方への拡大を警戒していました。

つまり、独ソ不可侵条約は両国が心から友好的になったものではなく、互いに時間を稼ぐための政治的な取引でした。ドイツは西ヨーロッパ攻略に集中するため、ソ連との戦争を一時的に避けたかったのです。

途中からドイツがソ連を攻撃した理由

ドイツとソ連の関係が大きく変化したのは、1941年6月22日の「バルバロッサ作戦」です。この作戦によってドイツはソ連への大規模侵攻を開始しました。

ヒトラーは以前からソ連の領土を獲得し、東ヨーロッパを支配する構想を持っていました。また、ソ連の資源や広大な土地を手に入れることも目的でした。

こうして、かつてポーランドを分割したドイツとソ連は、今度は激しく戦うことになります。この戦争が第二次世界大戦の中でも特に大規模な「独ソ戦」です。

独ソ戦は第二次世界大戦の大きな転換点になった

独ソ戦の開始当初、ドイツ軍は急速にソ連領内へ進撃しました。しかし、ソ連の広大な国土や厳しい冬、ソ連軍の反撃によって次第に苦戦するようになります。

特に1942年から1943年にかけてのスターリングラード攻防戦では、ドイツ軍が大敗し、戦争の流れが大きく変わりました。

その後、ソ連軍は反撃を強めて東ヨーロッパへ進出し、最終的にはドイツ本土へ迫ることになります。独ソ戦は第二次世界大戦の勝敗を決める重要な戦いとなりました。

まとめ

第二次世界大戦の初期には、ドイツとソ連は独ソ不可侵条約を結び、ポーランドをそれぞれ侵攻・占領しました。そのため、一時的には協力関係にあるように見えました。

しかし、両国は本来から対立する思想を持っており、ドイツは1941年にソ連へ侵攻しました。これによってドイツとソ連は激しい戦争状態となります。

つまり、第二次世界大戦の流れは「ドイツとソ連が最初はポーランドを分け合ったが、その後ドイツがソ連を攻撃して敵同士になった」という理解が基本になります。

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