1960年代アメリカ南部の「White」「Colored」表示とは?黒人以外の人種も対象だったのかを解説

世界史

1960年代のアメリカ南部では、「White(白人用)」や「Colored(有色人種用)」と書かれた給水器、化粧室、待合室などの標識が存在していました。これは当時の人種隔離政策を象徴するものであり、現在ではアメリカ公民権運動の歴史を学ぶ上で重要な資料となっています。

では、この「Colored」という区分は黒人だけを指していたのでしょうか。それとも、先住民や東アジア系など、白人以外のすべての人が対象だったのでしょうか。この記事では、当時のアメリカ南部における人種隔離制度の仕組みについて解説します。

「White」と「Colored」の表示が意味していたもの

「White」と「Colored」は、アメリカ南部で行われていた人種隔離政策(ジム・クロウ法)の下で使われた区分です。公共施設を人種によって分けるために、トイレ、給水器、学校、交通機関などに表示されていました。

ここでいう「Colored」は、文字通り「白人ではない人々」を意味する広い表現でした。ただし、実際の運用では地域や時代によって扱いが異なり、特にアフリカ系アメリカ人(黒人)を対象とした制度として機能していました。

つまり、単純に「白人以外の全員が同じ扱いを受けた」というより、南部社会における人種的な階層制度の中で、黒人を隔離する仕組みが中心だったと言えます。

黒人以外の人々も「Colored」に分類されたのか

法律上や社会的な分類では、黒人以外の非白人も「Colored」と呼ばれる場合がありました。例えば、アジア系アメリカ人、先住民、その他の非ヨーロッパ系の人々が「有色人種」として扱われることもありました。

しかし、実際の生活では人種集団によって経験が異なりました。南部のジム・クロウ制度は特に黒人を対象として発展したため、黒人が最も厳しい隔離や差別を受けました。

例えば、アジア系住民や先住民も差別を受けることはありましたが、地域によっては黒人とは異なる法的・社会的な扱いを受ける場合もありました。

アメリカ南部で黒人が特に隔離対象になった理由

南北戦争後、奴隷制度は廃止されましたが、南部では白人優位の社会秩序を維持しようとする動きが強まりました。その結果、ジム・クロウ法と呼ばれる人種隔離制度が広がりました。

この制度の主な目的は、黒人を社会的、政治的、経済的に制限することでした。学校、交通、飲食店、公共施設などで黒人と白人を分離する仕組みが作られました。

そのため、「Colored」という表示は、実際には黒人を隔離するための象徴として使われることが多く、単なる人種分類ではなく、差別的な社会制度を表す言葉になっていました。

「Colored」は当時どのような意味で使われていたのか

現在では「Colored」という言葉は、人種差別的な歴史を持つ表現として慎重に扱われています。しかし、当時のアメリカでは公式な用語として使用されることがありました。

例えば、全米黒人地位向上協会(NAACP)の名称にもかつて「Colored」という言葉が含まれていました。これは当時の社会状況の中で使われていた表現であり、現代の感覚とは異なる背景があります。

また、「Colored」という言葉は必ずしもすべての非白人を同じように扱うことを意味していたわけではありません。法律、地域社会、職業、時代によって実際の扱いには違いがありました。

人種隔離制度が終わった後の変化

1960年代には公民権運動が大きく発展し、人種隔離制度は廃止へ向かいました。1964年の公民権法や1965年の投票権法によって、法律上の差別撤廃が進められました。

これにより、「White」「Colored」と分けられていた公共施設の表示もなくなっていきました。しかし、制度がなくなった後も、長年続いた差別による社会的影響は残りました。

現在、当時の標識や写真は、過去の差別の歴史を学ぶための資料として保存されています。

まとめ

1960年代のアメリカ南部における「White」と「Colored」の表示は、人種隔離制度を示すものでした。「Colored」は広い意味では白人以外の人々を指す言葉でしたが、実際の制度運用では特に黒人を隔離するために使われました。

黒人以外の先住民や東アジア系なども差別や制限を受けることはありましたが、その経験や扱いは地域や時代によって異なりました。

この歴史を理解するには、「Colored」という言葉だけを見るのではなく、当時のアメリカ社会で人種による分離がどのように制度化されていたのかを知ることが重要です。

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