三次盆地の古式須恵器や鉄滓の供献に関して、奥野正男氏の『騎馬民族の来た道』では、これらを供した集団がヤマト起源ではあり得ないと指摘されています。それでは、この集団はどこから来た可能性があるのでしょうか。考古学的・歴史学的視点から解説します。
三次盆地と古式須恵器・鉄滓の背景
古墳時代後期に三次盆地で見られる古式須恵器は、首長級だけでなく小規模古墳でも使用されており、社会的地位や地域間交流を示す重要な資料です。
その後、須恵器の供献は鉄滓に置き換わります。鉄滓は鉄製品の生産や加工に関わる副産物で、集団間の交流や権力の象徴として供献されたと考えられます。
ヤマト起源ではない理由
考古学的に、三次盆地での供献文化はヤマト地方の古墳文化とは異なる特徴を持っています。例えば、土器の形状、焼成技術、鉄滓の使用方法などがヤマト式とは一致しません。
また、出土品の年代や地域的分布から、ヤマト勢力が直接支配していた痕跡も見られないことが指摘されています。
可能性のある起源地域
奥野氏は、鉄器・馬文化に関連する北方系・朝鮮半島からの移入を想定しています。
具体的には、朝鮮半島の伽耶地域や高句麗周辺で形成された鉄器文化、騎馬技術を持つ集団が日本列島に渡来し、三次盆地などの地域に定着した可能性が考えられます。
この渡来集団はヤマト勢力とは独立して存在していたため、文化的特徴や供献物に独自性が残っています。
考古学的証拠と分析
須恵器の型式や製作技術の分析、鉄滓の成分・出土状況から、渡来系集団の存在が支持されています。
また、三次盆地周辺の小規模古墳でも同様の鉄滓供献が見られることから、単なるヤマト文化の影響では説明できない独自性があることが分かります。
まとめ
三次盆地で古式須恵器の供献が鉄滓に変わった集団は、ヤマト起源ではなく、朝鮮半島北部や伽耶地域の渡来集団が関与していた可能性が高いと考えられます。
この集団は鉄器・騎馬文化を有しており、日本列島への影響を与えつつも、ヤマト文化とは別個に地域文化を形成していたことが示唆されます。


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