李氏朝鮮では15世紀にハングルが創製されましたが、「当時の一般庶民はどの程度読み書きができたのか?」という点は、歴史好きの間でもよく話題になります。
特に「ハングルは庶民のために作られた」と言われる一方で、大韓帝国成立直後でも識字率はかなり低かったという説もあります。
この記事では、李氏朝鮮から大韓帝国初期にかけての識字率、ハングル普及の実態、そして当時の社会構造との関係をわかりやすく整理します。
ハングルは「庶民向け文字」として作られた
ハングルは1443年、李氏朝鮮第4代国王・世宗によって創製されました。
当時の正式な文章は漢字(漢文)が中心であり、読み書きができるのは主に両班(ヤンバン)と呼ばれる知識人階級でした。
世宗は、「漢字は庶民には難しすぎる」と考え、より簡単に学べる文字体系として訓民正音、後のハングルを作ったとされています。
つまり、ハングル自体は“庶民の識字率向上”を意識した文字だったのは事実です。
しかし実際には普及が限定的だった理由
ただし、ハングルが作られたからといって、すぐ全国民が読み書きできるようになったわけではありません。
李氏朝鮮では儒教的な身分秩序が非常に強く、知識や学問は支配階級である両班の権威と結びついていました。
そのため、知識人層の中にはハングルを「俗な文字」と見下す傾向もあり、公式文書や学問では長く漢文が中心でした。
また、そもそも地方では学校教育そのものが十分整備されていませんでした。
つまり、
- 文字は作られた
- しかし教育制度が全国的ではない
- 身分社会の壁も強い
という状況だったのです。
大韓帝国成立時の識字率はどれくらい?
大韓帝国が成立したのは1897年ですが、この頃の正確な全国識字率データは存在していません。
ただし、多くの歴史研究では、李氏朝鮮末期から大韓帝国初期の識字率はかなり低かったと考えられています。
推定には幅がありますが、一般的には全国平均で数%〜10%台前半程度だったとする見方が多いです。
| 層 | 識字状況 |
|---|---|
| 両班・知識人 | 比較的高い |
| 都市部商人 | 一定数読み書き可能 |
| 農民層 | かなり低い |
| 女性全体 | 男性より低い傾向 |
特に地方農村では、文字に触れる機会自体が限られていました。
女性や庶民にはハングルが比較的広まっていた
一方で、ハングルは庶民や女性の間では比較的普及していたと言われています。
例えば、女性の日記、手紙、小説などではハングルが使われることが多くありました。
漢字教育を受けにくかった層にとって、ハングルは実用的な文字だったからです。
有名なハングル文学や庶民小説も徐々に広まり、完全ではないにせよ、「読む文化」は少しずつ形成されていました。
日本統治時代に識字率は大きく変化した
1910年の日韓併合以降、日本統治時代には学校制度が急速に拡大しました。
もちろん政治的評価はさまざまありますが、学校教育の普及によって識字率そのものは大きく上昇したとされています。
20世紀中頃には、朝鮮半島全体で読み書きできる人の割合はかなり増加しました。
その背景には、
- 初等教育の整備
- 教科書の普及
- 印刷文化の発展
- 新聞・雑誌の増加
などがあります。
「ハングルが簡単=全員が読めた」ではない
現代では「ハングルは学びやすい文字」として知られています。
実際、構造的には非常に合理的で、短期間で習得しやすい文字体系です。
しかし、識字率は“文字の難易度”だけでは決まりません。
教育制度、経済状況、身分制度、学校数、社会文化など、多くの要因が関係します。
つまり、「簡単な文字があったのに識字率が低い」という状況は、歴史的には珍しいことではありません。
まとめ
李氏朝鮮では、世宗によって庶民向け文字としてハングルが作られました。
しかし、身分制度や教育環境の制限により、李氏朝鮮末期から大韓帝国成立直後の全国識字率は、推定で数%〜10%台前半程度だったと考えられています。
一方で、ハングルは女性や庶民層には徐々に広がっており、後の近代教育普及の土台にもなりました。
「文字が存在すること」と「国民全体が読み書きできること」は別問題であり、当時の社会構造を理解することが重要です。


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