箱館戦争の際、敗戦を悟った榎本武揚が万国公法を訳した書物を黒田清隆に託したというエピソードは、史実として語られることがありますが、この出来事の真実性については議論があります。この記事では、榎本武揚の行動やその背景にあった国際法の重要性について考察し、このエピソードが歴史的にどのように位置づけられるべきかを解説します。
箱館戦争と榎本武揚
箱館戦争(1868年)は、戊辰戦争の一環として、旧幕府軍と新政府軍の間で戦われました。榎本武揚は、旧幕府軍の指導者の一人として戦争を指揮していましたが、戦局が不利になり、最終的に敗北を喫しました。戦争の終結間際、榎本は捕虜となる前に重要な遺産を託すことを決意します。
その遺産の一つが、「万国公法」の翻訳書であったとされます。万国公法は、当時の国際法の基礎となる法典であり、日本が近代国家として歩むために必要不可欠な知識とされていました。榎本は、戦後の日本においてこの法典が重要な役割を果たすと確信していたため、その翻訳書を黒田清隆に託したとされています。
万国公法の重要性とその背景
万国公法(国際法)は、近代化が進む中で、世界各国が共通に遵守すべき法の枠組みとして重要性を増していました。特に、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、国際的な圧力を受ける日本にとって、国際法を理解し、それを基にした外交政策を行うことが不可欠でした。
榎本武揚がこの法典を重視した背景には、日本が西洋列強との交渉で不利な立場に立たないため、万国公法に基づく理論的な支柱を必要としていたという認識があったと考えられます。
黒田清隆への託しの意味
黒田清隆は、後の日本政府の高官であり、重要な政治家でした。榎本が万国公法の翻訳書を黒田に託した理由は、黒田が将来日本の外交や法制度において重要な役割を果たす人物であると認識していたためだと考えられます。また、黒田はその後、日清戦争や日露戦争を通じて国際的な舞台で活躍し、近代国家としての日本の地位を確立していく中で、この法典が重要な指針となったことは間違いありません。
史実としての評価と論争
榎本武揚が万国公法の翻訳書を黒田清隆に託したというエピソードは、実際にあった出来事とされていますが、詳細な証拠や記録が少ないため、その真実性には疑問を持つ歴史家もいます。しかし、このエピソードは、日本が国際社会においてどのように法の支配を重視していたのか、また、幕末の政治家たちが未来の日本をどう見ていたのかを知る上で貴重な一例と言えるでしょう。
結論: 日本の近代化と国際法の重要性
榎本武揚が万国公法の翻訳書を託したというエピソードは、戦後の日本がどのように国際社会との関係を築くべきかを示唆しています。日本が近代化を進める中で、国際法の理解とその実践は不可欠な要素であり、榎本の行動はその重要性を認識した結果だと考えられます。国際法を学ぶことは、今日の日本の外交政策にも大きな影響を与えていると言えるでしょう。
コメント