中国王朝「元」とはどんな国だったのか?モンゴル帝国と万里の長城の関係をわかりやすく解説

中国史

中国史を学ぶと登場する「元(げん)」は、漢民族ではなくモンゴル人によって建てられた王朝として知られています。そのため、「かつて中国北方で活動していた遊牧民族が南下し、中国を支配した王朝なのか」と疑問に思う人も少なくありません。本記事では、元王朝の成立とモンゴル人、中国王朝との関係についてわかりやすく解説します。

元王朝とはモンゴル人が建てた中国王朝

元は1271年にフビライ・ハンによって建国された王朝です。フビライはチンギス・ハンの孫にあたり、巨大なモンゴル帝国の支配者の一人でした。

当時の中国は北部を金、南部を南宋という国家が支配していましたが、モンゴル軍はこれらを次々と征服しました。

元は「モンゴル帝国が中国全土を支配するために築いた王朝」と考えると理解しやすいでしょう。

秦王朝が恐れた北方民族とモンゴル人は同じではない

「万里の長城を築いた秦の時代に恐れられていた北方民族=モンゴル人」と考えられがちですが、実際には少し異なります。

秦の時代(紀元前3世紀)に北方で勢力を持っていたのは主に匈奴(きょうど)と呼ばれる遊牧民族でした。モンゴル民族が歴史上で大きく登場するのはそれより約1400年以上後のことです。

ただし、匈奴や鮮卑、突厥など、歴代の北方遊牧民族とモンゴル人には文化的な共通点があり、中国王朝にとって北方勢力が脅威だったことは共通しています。

万里の長城と北方民族の関係

万里の長城は単一の時代に完成した建造物ではありません。秦の始皇帝が既存の防壁をつなぎ合わせたのが始まりですが、その後も漢、北魏、明など多くの王朝が増改築を行いました。

長城の目的は北方遊牧民族の侵入を防ぐことでした。しかし、完全に侵攻を防げたわけではありません。

実際に中国史では、北方民族が何度も中国へ進出し、国家を建てています。

時代 北方勢力 中国への影響
秦・漢 匈奴 長城建設や軍事対立
南北朝 鮮卑など 北中国を支配
遼・金 契丹・女真 北宋を圧迫
モンゴル 中国全土を統一

元は中国をほぼ全土支配していたのか

結論から言うと、元は当時の中国のほぼ全域を支配していました。

1279年に南宋を滅ぼしたことで、中国本土は元の支配下に入ります。これは漢民族以外の民族が初めて中国全土を統一した大規模な事例でした。

さらに元は中国だけでなく、モンゴル高原や中央アジアとのつながりも持っており、広大な国際ネットワークの一部として機能していました。

なぜ元王朝は長続きしなかったのか

元は強大な軍事力で中国を支配しましたが、次第に財政難や政治腐敗が深刻化しました。

また、支配層のモンゴル人と被支配層の漢民族との間には身分的な格差も存在していました。

その結果、各地で反乱が発生し、1368年に朱元璋が建てた明王朝によって元は中国本土から追放されます。

まとめ

元王朝はモンゴル人が建てた中国王朝であり、モンゴル帝国の一部として中国全土を支配しました。そのため、「北方の遊牧民族が南下して中国を統一した王朝」という理解は大筋では正しいといえます。

ただし、秦王朝が恐れていた相手は主に匈奴であり、元を建てたモンゴル人とは時代も民族も異なります。中国史では長い歴史の中でさまざまな北方民族が登場し、その流れの中でモンゴル人が築いた王朝が元だったのです。

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