文化大革命期に数千万人規模ともいわれた紅衛兵は、毛沢東の呼びかけで結成されました。しかし後に彼らは地方へ下放され、事実上の「切り捨て」に遭います。それにもかかわらず、大規模な中央への反乱は起きませんでした。本記事では、その背景を歴史的事実に基づいて整理します。
紅衛兵とは何だったのか
紅衛兵は1966年に始まった文化大革命の中で、若者を中心に組織された政治運動集団です。
毛沢東の思想を体現する存在として、既存の党幹部や知識人を批判・攻撃しました。
しかし統一的な軍隊ではなく、地域ごとに分裂した集団でした。
なぜ「切り捨て」が起きたのか
1967〜68年頃になると、紅衛兵同士の武力衝突や社会混乱が深刻化します。
秩序回復のため、毛沢東と中国共産党は軍を投入しました。
その後、都市の若者を農村へ送る「上山下郷運動」によって事実上解体されました。
反乱が起きなかった理由① 組織の分裂
紅衛兵は一枚岩ではなく、派閥ごとに対立していました。
中央に対抗できる統一指導部は存在しませんでした。
内部対立が強く、大規模な統一行動が困難だったと考えられます。
反乱が起きなかった理由② 軍の圧倒的支配
人民解放軍が秩序回復を担い、武装解除を進めました。
国家の武力装置は党の管理下にありました。
軍事力の差は圧倒的でした。
反乱が起きなかった理由③ 思想的忠誠
多くの紅衛兵は毛沢東個人への強い崇拝意識を持っていました。
「裏切られた」と感じるよりも、政策変更を正当化する思想教育が行われました。
指導者批判そのものが政治的に危険でした。
局地的な衝突はあったのか
完全に平穏だったわけではありません。
地方では武装衝突や流血事件が発生しています。
しかし中央政権を倒す規模の反乱には発展しませんでした。
まとめ
紅衛兵は人数こそ多かったものの、統一的軍事組織ではありませんでした。
軍の介入、内部対立、思想的統制などが重なり、大規模な反乱は起きませんでした。
文化大革命は中国現代史の中でも複雑な出来事であり、単純な「切り捨てと反乱」の構図では説明できない歴史的背景があります。


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