日本史において、舒明天皇の時代に初めて遣唐使が派遣され、その後も繰り返し行われたという事実があります。しかし、「9世紀末に停止されるまで、ほぼ20年に一度の割合で派遣が計画され、実際には十数回渡海した」との記述について、誤解が生じることがよくあります。本記事では、この誤解を解くために、遣唐使の実際の派遣回数や歴史的背景について詳しく解説します。
遣唐使の起源と初回派遣
遣唐使とは、7世紀から9世紀にかけて日本から唐(現在の中国)へ派遣された使節団のことを指します。舒明天皇の時代、特に630年に初めて遣唐使が派遣されたとされています。この初回の遣唐使の目的は、唐の文化や制度を学び、日本の国家体制を強化することでした。実際には、遣唐使の派遣は、日本と唐の交流を深める重要な手段となり、様々な文化や技術が日本に伝わるきっかけとなりました。
初回の派遣から約20年後の7世紀末にも再度遣唐使が派遣されることとなります。このように、遣唐使の派遣は一度限りではなく、複数回にわたって行われました。
遣唐使の派遣回数とその停止
問題となっているのは、遣唐使が「ほぼ20年に一度の割合で派遣され、実際には十数回渡海した」という記述です。実際には、遣唐使はこれほど頻繁には派遣されませんでした。遣唐使の派遣は、以下のようなペースで行われていました。
- 初回:630年
- その後、数回の派遣があり、最も活発に行われたのは8世紀初頭でした。
- 9世紀末には派遣が一時停止し、最後の派遣は838年のことでした。
実際に派遣された回数は、8回程度であり、記述の「十数回渡海した」というのは過剰な表現となります。
9世紀末に遣唐使が停止された背景
9世紀末、遣唐使の派遣が停止されたのにはいくつかの理由がありました。最も大きな要因は、唐の衰退です。唐王朝は内部の混乱や外的圧力により、安定した政治体制を維持することが難しくなり、交流の重要性が低下しました。また、唐の衰退に伴い、日本側でも交流の必要性が薄れていきました。
さらに、当時の日本では、唐の文化や技術を学ぶ必要がなくなり、外交的にも十分な成果を上げたと考えられるようになったため、遣唐使の派遣が停止されたのです。
遣唐使の歴史的意義とその影響
遣唐使が派遣されることで、日本には多くの重要な文化や技術が伝わりました。例えば、仏教の経典や仏像、漢字を使った文字文化などがその一部です。また、遣唐使によって日本の国際的な地位が向上し、外交や貿易においても多大な影響を与えました。
その後、日本は独自の文化を発展させ、唐からの影響を受けつつも独自の道を歩むようになりました。このように、遣唐使は日本の歴史において非常に重要な役割を果たしました。
まとめ
本記事では、遣唐使に関する誤解とその実際の派遣回数、またその背景を解説しました。舒明天皇の時代から9世紀末までの遣唐使の派遣は、10回以上ではなく、8回程度であり、実際には唐の衰退によってその派遣が停止されたことがわかります。日本の歴史において、遣唐使は非常に重要な役割を果たしましたが、その後は独自の発展を遂げました。


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