第二次世界大戦の連合国が戦後の世界について話し合い始めた時期とは?

世界史

第二次世界大戦の最中、連合国は勝利を確信し始めていましたが、戦後の世界秩序の構築について具体的に話し合いを始めた時期はいつだったのでしょうか?この記事では、連合国が戦後の世界をどのように見据えていたか、そしてその時期について詳しく解説します。

連合国の勝利の確信と戦後の議論

第二次世界大戦の連合国は、戦争が進む中で次第に勝利を確信していきました。特に、1943年の中盤を過ぎると、連合国側は軌道に乗り、ドイツや日本に対する戦局の優位性を確保していきます。この時点で、戦後の世界秩序に対する議論が本格的に始まりました。

実際、連合国は戦局が有利に進展しているとともに、戦後に向けた準備を始めました。特に1943年の「カサブランカ会談」や「テヘラン会議」では、戦後の世界について話し合われるようになります。

1943年のカサブランカ会談と戦後の計画

1943年1月、アメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相はカサブランカで会談を行い、戦後に関する重要な議論が行われました。この会議では、連合国が戦争の勝利を確信し、今後の戦局をどのように進めるかだけでなく、戦後の体制についても触れられました。

具体的には、連合国の戦争指導者たちは、戦後の平和維持のために「国際連合」の設立を提案するなど、戦後の国際秩序を見据えた話し合いが行われました。カサブランカ会談は、戦争が終結した後の世界をどうするかを真剣に考え始めた象徴的な会議です。

テヘラン会議と戦後の秩序構築

さらに進んで、1943年11月にはテヘラン会議が開かれ、アメリカ、イギリス、ソ連の指導者が集まり、戦後の世界秩序の大枠を決定する議論が行われました。この会議では、戦後のヨーロッパの復興や、ドイツの取り扱いについての議論が交わされ、連合国の間で一定の合意が得られました。

テヘラン会議では、戦後の平和を維持するために国際的な協力体制が必要であるとの認識が共有され、国際連合の設立に向けた基盤が整いました。また、ドイツの分割統治や、戦後の占領地域についても具体的な方向性が示されたのです。

戦後の世界を見据えた連合国の取り組み

連合国が戦後の世界について本格的に話し合いを始めたのは、1943年のカサブランカ会談を皮切りに、1944年のダンバートン・オークス会議やヤルタ会議など、複数回にわたる会議を通じて、戦後の秩序が形作られていきました。

これらの会議で確立された「国際連合」の設立や、戦後の経済復興計画、占領地の管理方法などが議論され、最終的に1945年の終戦後、世界は新たな秩序を迎えることとなったのです。

まとめ

第二次世界大戦の連合国が戦後の世界秩序について話し合い始めたのは、戦争が勝利に向かって進んでいた1943年から1944年にかけてでした。カサブランカ会談やテヘラン会議などで、戦後の体制について具体的な議論が行われ、最終的に国際連合の設立へとつながっていきました。これにより、戦後の平和と秩序を維持するための基盤が築かれたのです。

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