「アメリカはベトナムに負けた」とよく言われますが、確かに降伏せず賠償もない状態で撤退したという点で“引き分け”や“消耗戦終結”に思える声もあります。本記事では、戦争の勝敗をどう定義するかという観点から、ベトナム戦争(1955‑1975年)を整理し、その上で「アメリカは敗北した」と言われる理由・「勝利とは言えないが敗北というほどでもない」という見方の根拠を紹介します。
勝敗の定義を再確認する
戦争の勝敗を考えるとき、単に「敵軍を降伏させたか」「領土を奪ったか」だけではなく、① 目的の達成度、② 体制の維持・転換、③戦後の影響という三つの視点を持つと明確になります。
例えば、主目的が「敵国の政権を崩壊させること」であった場合、政権存続=敗北または目的未達と評価されることがあります。実際、アメリカは“南ベトナムを反共政権として維持する”という目的を掲げていました。[参照] (Britannica「Who won the Vietnam War?」)
ベトナム戦争の終結とアメリカの撤退状況
1973年のパリ和平協定によりアメリカは南ベトナムから軍隊を撤退させ、1975年4月30日には南ベトナムの首都サイゴンが北ベトナム側に陥落しました。[参照] (U.S. Department of State「Ending the Vietnam War, 1969‑1973」)
アメリカ側が明確な降伏を宣言せず、南ベトナム政府を支援しながら段階的撤退を行ったため、「負けた」という言い方に異論を唱える向きもあります。
「アメリカが敗北した」と言われる根拠
① アメリカの主目的「南ベトナムの反共政権維持」が果たせなかった点。北ベトナムが全国統一を達成した点。[参照] (Britannica「Vietnam War」)
② アメリカ国内において戦争疲労・社会的分断・政策転換を招いた点。戦後、アメリカは強い介入型軍事政策に慎重になる「ベトナム症候群(Vietnam syndrome)」を経験しました。[参照]
「完全な敗北ではない」とする見方とその理由
① アメリカ軍として南ベトナム圏内で一方的に壊滅させられたわけではなく、多くの勝利作戦や優勢な戦果も報告されています。 [参参]
② 植民地化や賠償義務という「敗北」定義の典型的な指標が適用されておらず、国家存続・領土喪失・主権放棄といった形を取っていない点。つまり、アメリカ自身が“撤退を選んだ”という構図です。
「引き分け」や「戦略的撤退」と捉える視点もある
戦争をケンカに例えれば、確かに「最後に攻め手が引いた」形とも見えます。北ベトナム・南ベトナム連合軍は根気強く戦い、アメリカ側は帰還を決めたわけです。これを“ドロー”と評価する立場も存在します。
ただし、この場合も「勝利を得た側」として北ベトナム陣営が『統一国家』を達成しているため、その点では“敗北”に近い形で評価されることが多いです。[参参]
まとめ
結論として、ベトナム戦争においてアメリカが“勝った”とは言えず、かといって“伝統的な敗北”の形(降伏・賠償・植民地化)にも当てはまりません。つまり、戦争目的の未達・撤退・相手の想定以上の勝利という観点から「敗北」と評価されることが一般的です。
あなたが感じた「ケンカのような構図であれば“ドロー”に近い」という直感も、一側面として成立しますが、国際政治・軍事史的には「アメリカの敗北」という評価が主流であることを知っておくと理解が深まります。


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