福岡県朝倉市(旧甘木市)の池ノ上遺跡と古寺墳墓群から出土した陶質土器や初期須恵器は、朝鮮半島の伽耶地域との密接な関係を示す考古学的な証拠とされています。これらの出土品は、両地域間の文化的交流や技術伝播の一端を明らかにしています。
池ノ上・古寺墳墓群の概要
池ノ上・古寺墳墓群は、古墳時代前~中期の古墳11基、土壙墓57基、奈良~平安前期の火葬墓37基からなる墓地で、福岡県朝倉市の丘陵に築かれています。出土品には、初期須恵器をはじめとする多様な副葬品が含まれており、朝鮮半島との深いつながりがうかがえます。
出土品と朝鮮半島との関係
出土品には、武器(刀・剣・鏃等)、鍛冶具(斧・鋏・鎚等)、装身具(勾玉・管玉・耳環等)などがあり、これらは朝鮮半島の伽耶地域との文化的な交流を示唆しています。特に、火葬墓からは、長沙窯製を模した土師質の白釉緑彩器が出土しており、これは朝鮮半島の陶質土器の影響を受けていると考えられています。
陶質土器の技術伝播と須恵器の誕生
朝鮮半島では、加耶や馬韓など南部地域で陶質土器が生産されており、その技術が日本列島に伝播しました。特に、加耶地域の陶質土器の技術が日本列島産の陶質土器、すなわち須恵器の生産に大きな影響を与えました。須恵器の特徴的な形状や製造技術は、朝鮮半島からの技術移入の証拠とされています。
考古学的な証拠と学術的な見解
甘木市教育委員会の『古寺墳墓群』報告書では、池ノ上・古寺墳墓群から出土した陶質土器や初期須恵器が、朝鮮半島の陶質土器と系統的に通じていることが指摘されています。これらの出土品は、両地域間の文化的な交流や技術伝播の証拠として、考古学的に重要な位置を占めています。
まとめ
甘木市の池ノ上・古寺墳墓群から出土した陶質土器や初期須恵器は、朝鮮半島の伽耶地域との密接な関係を示す貴重な考古学的証拠です。これらの出土品は、両地域間の文化的交流や技術伝播の一端を明らかにし、日本列島における陶器文化の発展において重要な役割を果たしました。
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