第二次世界大戦が始まったきっかけは、ドイツがポーランドに侵攻し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告したことでした。しかし、ソ連はなぜこの時点で宣戦布告をしなかったのでしょうか?その背景には独ソ不可侵条約の存在とソ連の戦略的な判断が関係しています。
1. 独ソ不可侵条約の成立
1939年8月23日、ナチス・ドイツとソ連は独ソ不可侵条約を結びました。この条約により、両国は互いに攻撃しないことを約束し、ポーランドに対する侵攻を共同で行うことを決めました。この条約は、ドイツが西側の国々との戦争を開始する前に、ソ連とドイツの間に対立を避けるための重要な合意でした。
2. ポーランド分割とソ連の戦略
ポーランド侵攻後、ソ連とドイツはポーランドを分割することになります。ドイツは西部を占領し、ソ連は東部を占領しました。これは、ソ連にとって戦争への直接的な関与を避けるための戦略であり、またドイツと交戦せずに東欧の影響圏を確保するための手段でもありました。
3. ソ連が宣戦布告しなかった理由
ソ連は、独ソ不可侵条約を守るために、ドイツとの戦争を回避し、しばらくの間は戦闘に参加しませんでした。ソ連にとって、ドイツとの戦争は避けるべき大きなリスクでした。そのため、ポーランドの分割を通じてソ連の勢力圏を広げ、ドイツと対立しないようにしていました。また、当時のソ連はまだ準備が整っておらず、戦争に参加する準備ができていなかったため、慎重な行動を選んだと考えられます。
4. その後のソ連の参戦
1941年、ドイツはソ連に対して侵攻を開始し、独ソ戦が勃発します。この時点で、ソ連は戦争に巻き込まれ、最終的に連合国側に参加することとなります。独ソ不可侵条約が破られたことにより、ソ連はドイツに対して宣戦布告を行い、戦争に突入することになります。
5. まとめ:ソ連の戦略的判断
第二次世界大戦初期において、ソ連が宣戦布告をしなかったのは、独ソ不可侵条約を基にした戦略的な判断によるものでした。ポーランド侵攻後、ソ連はドイツとの戦争を避け、勢力圏を拡大することを選びました。その後、ドイツによる侵攻により、ソ連は戦争に巻き込まれ、連合国側に参戦することになります。
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