中国近代史における重要な出来事である五港通商章程と虎門寨追加条約に関して、信(清朝)は関税自主権を喪失したとされています。しかし、これがどの条約によって実際に発生したのかは、議論の余地があります。今回は、両者の条約がどのように影響を及ぼしたのか、詳細に解説します。
1. 五港通商章程とその影響
五港通商章程(1858年)は、アヘン戦争後に中国とイギリスをはじめとする西洋列強との間で結ばれた不平等条約の一つです。この条約によって、広東、厦門、福州、上海、寧波の五つの港が開港され、中国は外国との貿易が自由化されました。特に、この条約が関税に与えた影響は非常に重要であり、清朝政府は外国商人が輸入する商品の関税を自由に設定できる権利を失いました。
この時点では、清朝は一定の経済的自主権を保持していましたが、外国からの圧力が増し、最終的に関税自主権を完全に喪失することになります。
2. 虎門寨追加条約の成立とその重要性
虎門寨追加条約(1843年)は、南京条約(1842年)の締結後に更なる詳細が定められた条約です。この条約では、清朝の関税権を制限する条項が含まれており、特に貿易における関税率は外国列強の承認を得なければならないことが定められました。この点で、虎門寨追加条約は、五港通商章程と共に、清朝が関税に関する自主権を失った一因とされています。
この条約の影響により、中国は外国との貿易における重要な決定権を持たず、外国列強の経済的支配が強化される結果となりました。
3. どちらの条約が関税自主権の喪失に繋がったか?
五港通商章程と虎門寨追加条約、どちらが直接的に関税自主権を喪失させたかについては、見解が分かれています。五港通商章程では関税が外国の監視下に置かれ、虎門寨追加条約では実際に清朝が関税を自由に設定できる権利を制限されたため、両方の条約が関税自主権の喪失に関与していると考えることができます。
一方で、虎門寨追加条約がより直接的に関税の自主権を奪ったという意見もあります。これは、条約における具体的な条項が関税に関する清朝の権限を大きく制限したためです。
4. まとめ
五港通商章程と虎門寨追加条約は、いずれも中国の関税自主権喪失に寄与した重要な条約ですが、その影響の受け方には違いがあります。五港通商章程は主に貿易の自由化を進め、外国商人に有利な状況を作り出しました。一方、虎門寨追加条約は清朝の関税に関する権限を直接制限し、関税自主権の喪失をより深刻なものとしました。
両者の条約が相乗的に働き、最終的に清朝は自国の経済的権限をほぼ完全に失う結果となったのです。
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