ポルトガルから日本へ船で来た時代の船旅: どのような生活が待っていたか

世界史

ポルトガルから日本への船旅は、16世紀から17世紀の間、海を渡る長い旅路でした。ここでは、当時の船旅の距離、時間、食事、飲み水、そしてトイレ事情について詳しく解説します。

1. 船旅の時間: どれくらいの時間がかかっていたのか?

ポルトガルから日本への航海は、船の技術や天候に大きく依存していました。平均的には、約4ヶ月から6ヶ月の間に渡る長い航海となりました。出発地はリスボンを基点とし、インド洋を経由して日本に至るルートが一般的でしたが、天候や海流により、旅程は大きく異なることもありました。

また、航海の途中で立ち寄る場所があり、補給を行うこともありましたが、それでも船上で過ごす時間は非常に長く、疲労や病気との戦いも必要でした。

2. 食べ物: 何を食べていたのか?

当時の船上での食事は、限られた食材で作られていたため、種類は少なく、保存が効く食材が多かったです。主に、塩漬けされた肉や魚、乾燥した野菜、パン、穀物が中心でした。これらは長期間保存できるため、船上での食料供給には非常に役立ちました。

また、乾燥した果物やナッツ、香辛料も使われていましたが、栄養不足に陥ることも多く、ビタミンC不足による壊血病が発生することがしばしばありました。

3. 飲み水: 水はどうしていたのか?

船旅の間、水の確保は重要な問題でした。船には水を保存するための大きな樽がいくつも積まれていましたが、長期間にわたる航海では水が腐りやすく、飲み水は不足しがちでした。そのため、水が足りない場合、海水を薄めて使うこともありましたが、これは身体に悪影響を与えることがありました。

また、航海途中で雨が降れば、その水を集めて飲料水として利用することもありました。しかし、常に飲料水が足りていたわけではなく、船員たちは工夫して水を確保していたのです。

4. トイレ: 船上でのトイレ事情

船上でのトイレ事情は、現代のように快適なものではありませんでした。当時の船には専用のトイレはなく、船の一番後ろや、デッキの端に簡易的な便所が設けられていました。これらは「船便所」と呼ばれ、風や波の影響を受けやすく、船員たちにとっては非常に不便で衛生的に問題がありました。

また、長期間の航海で限られたスペースの中に数十人が生活していたため、衛生状態が悪化し、病気が蔓延することもありました。特に熱帯地方に近づくと、蚊などの害虫が増え、病気を引き起こす原因となりました。

5. まとめ: ポルトガルから日本への船旅はどれほど過酷だったか

ポルトガルから日本への船旅は、現代の交通手段と比べると非常に過酷なものでした。長期間の航海、限られた食料、衛生状態の悪化、そして予測不可能な天候との戦いが続きました。それでも当時の船乗りたちは、この過酷な旅を何度も繰り返し、新しい交易ルートや文化を日本にもたらしました。

このような歴史的背景を知ることで、現代の便利な交通手段と比べて、どれほど厳しい状況であったのかを改めて実感することができます。

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