本多正純・大久保長安・成瀬正成・安藤直次連署状の書き下しと現代語訳

全般

本記事では、慶長15年(1610年)に書かれた本多正純・大久保長安・成瀬正成・安藤直次の連署状について、その書き下し文と現代語訳を提供します。古文書に見られる日本の戦国時代後期の政治的背景を理解するために、この文書を通して、当時の政治的な意思疎通方法やその影響を解説します。

1. 書き下し文

本多正純・大久保長安・成瀬正成・安藤直次連署状

追而松和泉殿・遠但馬殿・中沢助右衛門殿への書状も可有御届候、以上、先度令申候、仍先日申入候大鋸虎助、木曽にてひき候板之儀、一刻もはやく出候様肝要ニ候、先書委申入候間、御油断ハ有之間敷候へ共、弥可被入御情候、稲葉右近殿へも右通申入候、此書状可有御届候、恐々謹言(慶長十五(一六一〇)年)

安带刀

戌九月十九日

直次(花押)

成隼人正

正成(花押)

大石見守

長安(花押)

本上野介

正純(花押)

遠山久兵衛殿

山村七郎右衛門殿

2. 現代語訳

松和泉殿、遠但馬殿、中沢助右衛門殿へ送る書状も、問題なく届いているはずです。先日申し上げた通り、また、先日報告した大鋸虎助の件、木曽での板の件について、速やかに対応するようお願い申し上げます。先に申し上げた通り、十分に注意していただく必要がありますが、万が一のことがあれば、その際はご配慮いただけますようお願い申し上げます。また、稲葉右近殿にも通達を出しましたので、この書状も届くはずです。敬具

3. 解説

この連署状は、慶長15年に戦国時代の有力な武将たちが送ったもので、政治的な意思疎通や重要な命令が記されています。特に「一刻もはやく出候様肝要ニ候」とは、急を要する事態であることを示唆しており、戦国時代の政治の緊張感や迅速な対応を求める姿勢が伺えます。また、「信賞必罰」の精神が表れており、命令に従うことが重要であることが強調されています。

4. 結論

この書状は、当時の戦国時代後期の武将たちがどれほど慎重に政治を進め、また即時対応を求めていたかを物語っています。書き下し文と現代語訳を通じて、当時の状況をより深く理解することができ、戦国時代の日本における政治的、軍事的な意思決定の重要性が明らかになります。

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