大阪城といえば、現在では白を基調とした美しい天守閣の姿が印象的ですが、歴史資料や絵画などを紐解くと、かつては黒っぽい外観で描かれていたことがわかります。では、なぜ大阪城は白くなったのでしょうか?その色の変化には、時代背景や建築様式、復元工事の意図などが深く関わっています。
かつての大阪城:豊臣時代は「黒」の印象が強かった
豊臣秀吉が築いた大阪城(初代天守)は、黒漆や黒い板張りを用いた外観で知られていました。これは桃山文化の美意識を反映したもので、金の装飾とのコントラストを際立たせる意図があったとされています。
また、戦国時代の天守は「黒い天守=威厳・強さ」を演出する意味もあり、実戦的かつ権威の象徴として設計されたのです。絵巻や屏風絵などに描かれた当時の大阪城は、全体的に重厚な色調で表現されています。
大阪城の焼失と再建:江戸時代以降の姿
豊臣時代の大阪城は、大坂夏の陣(1615年)で落城し、その後は徳川幕府によって再建されました。しかし、この再建天守も1665年に落雷で焼失し、それ以降、天守は長らく存在しないままでした。
つまり、現在の大阪城の天守は「当時のものではなく、復興されたもの」なのです。
現在の白い大阪城はいつできた?
現在の大阪城の天守閣は、昭和6年(1931年)に鉄筋コンクリート造で復興されたものです。この際、外壁の色は白を基調としたものに変更されました。理由としては以下のようなものが挙げられます。
- 多くの近世城郭(例:姫路城)が白漆喰で仕上げられており、それに倣った
- 市民から見て「明るく清潔感のある城」として親しみやすい
- 当時の復元において、詳細な色の資料が乏しく「白」が一般的とされた
また、復元当初の目的は観光や象徴性の強調であり、史実通りの色や構造にすることよりも現代的な美観が優先されたとも言えます。
「白=正統」という誤解?城の色の地域性と変遷
日本の城はすべて白というイメージを持つ人も多いですが、実際には地域や時代によって外壁の色や素材は大きく異なります。
たとえば。
- 姫路城:白漆喰を用いた典型的な「白鷺城」
- 松本城:黒板張りの「烏城」
- 岡山城:黒漆仕上げの「烏城」
このように、白も黒も、どちらも当時の美学に基づく正当な意匠なのです。
まとめ:大阪城が白くなったのは近代以降の復元によるもの
かつての大阪城が「黒」だったのは、豊臣時代の美意識と権威を象徴する設計によるものでした。しかし現在の白い天守閣は、昭和初期の復元事業による現代的な演出の結果です。
本来の姿とは異なるものの、今の大阪城もまた、その時代に生きる人々の理想を映した“歴史の一形態”であると言えるでしょう。
城を訪れる際には、その“色の変遷”にも注目してみると、歴史の面白さがより深く感じられるかもしれません。
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