第二次世界大戦中、日本は南方へと進出し、太平洋戦争へと突入しました。しかし、もし当時の日本が東南アジアを目指さず、独ソ戦勃発と同時に北へ転じてソビエト連邦に侵攻していたら――そんな歴史の“もしも”を考えることは、当時の戦略的背景を理解するうえで非常に興味深いテーマです。本記事では、「日本がソ連に攻め込んでいたらどうなっていたか?」と、「なぜ日本は南下したのか?」という2点を軸に解説していきます。
仮説:日本が独ソ戦と同時にソ連へ侵攻していたら?
1941年6月、ナチス・ドイツはソ連に対して電撃的な侵攻(バルバロッサ作戦)を開始しました。このとき、日本がシベリア方面から北方からソ連を攻めていれば、ソ連は東西両面作戦を強いられることになり、モスクワ防衛が困難になった可能性があります。
実際、ドイツ側は日本に対し「北進」を強く期待しており、ソ連極東部の部隊を釘付けにすることで、独軍の進撃を支援してほしいと考えていました。もし日本が北進していれば、ドイツがモスクワを攻略し、戦局が大きく変わっていた可能性はあります。
ただし、その後のアメリカやイギリスとの関係、さらにはソ連の強力な反撃能力や補給線の問題などを考慮すれば、ドイツ・日本の勝利は決して確実ではなかったとも言えます。
日本が北進しなかった理由:ノモンハン事件の記憶
日本が北進を避けた最も大きな理由の一つが、1939年に起こったノモンハン事件です。この戦いでは、関東軍がソ連軍との国境紛争で大敗を喫しました。ソ連の機械化部隊と空軍の実力を目の当たりにし、日本軍の内部では「ソ連との全面戦争は困難」という認識が広まりました。
この敗北によって、陸軍内部でも北進論が後退し、代わりに資源確保を目指した南進論が優勢となっていきます。
南進政策の背景:なぜ日本は東南アジアへ向かったのか
日本が南方進出を決断した最大の理由は、資源の確保です。特に石油・ゴム・鉄鉱石といった戦争継続に不可欠な資源を東南アジア(特に蘭印=現在のインドネシア)に求めました。
アメリカやイギリスからの経済制裁(特に石油禁輸)によって追い詰められた日本は、もはや南方資源地帯を押さえる以外に選択肢がないと判断します。これが1941年12月の真珠湾攻撃へとつながっていきました。
ソ連と日ソ中立条約の存在
1941年4月、日本とソ連の間で日ソ中立条約が締結されました。これにより、日本は北方での安全保障を確保しつつ、南方に戦力を集中することが可能となりました。この条約があることで、独ソ戦開始時点でも日本はソ連に攻め入る理由が薄く、むしろ条約を活かしてアメリカ・イギリスとの戦いに集中する戦略をとったのです。
一方、ソ連も極東に一定の戦力を割いておく必要があり、これがモスクワ防衛においてギリギリの差を生んだと見る説もあります。
歴史が変わった可能性は?
仮に日本がソ連に攻め入っていた場合、ドイツ軍との協調でソ連を崩壊させる可能性があった一方で、アメリカとの関係悪化を前倒しする可能性も高く、複数の戦線を抱えるリスクも大きかったと考えられます。
また、日本軍の物資不足・兵站の困難さ・ソ連の奥深い地理的特性などを考慮すると、長期戦になればなるほど日本にとって不利だったでしょう。歴史が大きく変わった可能性はありますが、最終的な結果はやはり不透明です。
まとめ:日本が北進していたら、歴史はどう変わっていたか?
日本が独ソ戦に呼応してソ連に侵攻していたら、ソ連崩壊の可能性があった一方で、日本自身がより厳しい戦局に陥るリスクも高かったといえます。
南進政策は資源確保という現実的な目的に基づいた選択であり、ノモンハン事件や日ソ中立条約といった外交・軍事上の事情を考えると、当時の判断としては合理的な側面もありました。
「もしも」の歴史を考えることで、当時の地政学的な緊張感と戦略判断の重みを、より深く理解することができます。
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