江戸町触集成『一二四四五』の現代語訳と解説

日本史

江戸時代における公的な通達や規則をまとめた『江戸町触集成』は、当時の人々の生活や風俗について知る貴重な資料です。特に今回ご紹介する文政十二年(1829年)の町触『一二四四五』は、銭湯に関する男女の入浴規制について述べられた内容で、江戸の風紀の一端を垣間見ることができます。以下に、その内容を現代語訳し、背景と意味について詳しく解説していきます。

1. 『江戸町触集成 一二四四五』の現代語訳

原文:
文政十二丑年十一月廿九日
町々湯屋共之内、男女入込湯為致間鋪趣、先達而被仰渡有之候処、今以紛舗湯屋も有之候間、男女入込相止可申旨名主支配限り湯屋共江申渡、其段請書取置可申旨、北方之御廻方被仰含候間此段御達申候。但、薬湯も同様為相止、男女別之入湯為致候様御談、其段御請印御支配限り御取置可被成候。右御達中候、御組合限り月行事持場とも御通達可被成候、以上
十一月廿九日 岡崎庄三郎

現代語訳:
文政12年11月29日
江戸の各町にある銭湯について。男女が一緒に入浴することを禁止するよう、以前から通達が出ていましたが、いまだに男女混浴を行っている銭湯が存在するため、改めてこの禁止命令を通達します。名主や支配役において、銭湯に対しこの旨を申し渡し、その証として請書(誓約書)を確保するよう指示します。また、薬湯についても同様で、男女別での入浴を徹底するように命じます。これを受け、各町の月行事や持場役など関係者に通達してください。

2. 江戸時代の銭湯事情と男女混浴の禁止

江戸時代には、銭湯は一般庶民の間で普及し、男女が一緒に入浴することが一般的でした。しかし、男女混浴は風紀上問題視されることもあり、幕府からたびたび混浴の禁止令が出されていました。この町触もその一環で、男女が一緒に入ることを禁止するための厳重な命令として発布されたものです。

3. 「薬湯」にも適用される規制

この町触の中には「薬湯」に関する記載もあります。薬湯は健康増進のために薬草や漢方を入れた特別な湯ですが、通常の風呂と同じく男女別で入浴することが求められました。薬湯を設置する湯屋もまた、この規制に従う必要があり、当時の湯屋が持つ公共の場としての性格が強調されています。

4. 名主や町役人に課された監督責任

この町触では、名主や支配役といった町のリーダーに対し、湯屋に指示を徹底する義務が課されています。請書(誓約書)を取ることも義務付けられ、これにより違反者への監視を強化し、町全体で規則を守る意識が醸成されました。

まとめ:江戸時代の風紀と町触の役割

江戸時代の町触は、庶民の日常生活を規制するものでした。今回の『一二四四五』も、湯屋での風紀を保ち、町全体での秩序を守るための重要な規則でした。現代においても、こうした歴史的な規則を学ぶことで、当時の人々の価値観や社会構造を理解する手がかりとなります。

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